安住友紀子公式サイト

2015.4.10 | カテゴリ:ブログ

私とサイモントン療法との出会い

こんにちは、サイモントン療法認定カウンセラーの安住友紀子です。

 

私がサイモントン療法と出会ったのは、
1冊の本がはじまりです。

 

私は、アルペンスキー競技の選手でした。
競技力向上に必要なのは、いわゆる、心技体。
これらを磨くのに役立つ情報を求め、
あれこれと本を読んでいました。

 

巷にはたくさんの情報が溢れ、
どれを手にとったらいいのか
探すだけでも時間がかかります。
本屋さんに行ったらキーワードを決め、
本棚に並ぶ本の背表紙を、指でなでながら
サーチするのが決まりでした。

 

ある時、イメージ・トレーニングのキーワードで
指が留まったのが、サイモントン療法の本
『がんのイメージ・コントロール法』でした。

 

「およそ対照的だけどなぁ・・・」
競技スポーツを追求しているときに、
病気のコントロールが結びつくとは。

 

ふと大好きだった叔父のことを思い出しました。
叔父は若い時分に肺がんが原因で亡くなっていました。

 

本には、サポーターの心得が書かれていて、
どのような姿勢で支えたらよかったのか、
もっとできることがあったんじゃないか、
という気持ちに思いを馳せながら読みました。

 

また本には、喜びや充実感を感じること、
その時間を持つことの大切さが書かれていました。

 

ちなみに私の喜びの一番目は、
『自然に触れること』
これがとっても好きです。

 

件の叔父はとてもユニークな人で、
小学校に上がる前から小さな私に、山や、沼や、
自然の中で遊ぶ楽しさを、沢山教えてくれました。
懐かしく、そして今につながっているんですね。

 

そうして読み進めるうち、
本に記述されている様々なヒントに、
なによりも私自身が、
深いところで癒されるのを感じたのでした。

 

スキー競技に注力していた当時の私は、
日々のあらゆる場面で心技体を鍛えることが大切と、
食事・トレーニングなど、高い意識を持って
生活することを自分に課していました。

 

しかし、夕方に一人漠然と泣いてみたり、
イライラと怒りっぽいなど、
精神面ではかなり不安定だったのです。

 

家族や同僚とのコミュニケーションも思うようでなく、
何をやっても機能しない、八方塞がりな状況に
段々と追い込まれていきました。

 

まるでナイフの刃の上を歩いているように
足場が極めて狭く、勝つことへの執着だけが
支えとなっていたようです。

 

鍛えれば鍛えるほど強くなると信じていましたし、
スキーに無関係な遊びや休養は
目標達成の妨げになるとすら思っておりました。
頑張りが足りないとは思っても、
頑張りが過ぎているとは気づきませんでした。

 

本に書かれていること一つ一つが心に沁み、
自分自身のバランスの悪さに気がつくと、
涙が溢れて仕方ありませんでした。

 

バランスを取ることは、
病気があっても、なくても、必要なことだ。
私はもっとリラックスし、日常に調和を取り戻す
必要があったのです。

 

自分を追い込むことだけが自分を強くする
と思ってやってきたのですから、
調和をとるにはどうしたらいいのか、
これまでの生き方との葛藤が起こりはじめました。

 

2007年、サイモントン博士が来日して
合宿のプログラムが開催されていることを知り、
近いうちに東京で講演会があることがわかりました。

 

居ても立っても居られないとはあの時のことで、
夜行バスに飛び乗って会いに行ったのです。
衝撃的な出会いが待っていました。

 

会場近くのカフェで、サイモントンの本を読みながら
時間を調整していると、斜め前の席に、
カール・サイモントン博士がやってきたのです。
川畑伸子さんも一緒でした。

 

胸は高鳴り、早鐘を打つようでした。
これはサイモントン療法でいうところの
叡智。だ。

 

本に記されていることが
目の前で起きていました。
それがサインであることへの確信が
私の内に起きていました。

 

心の準備なんて全く整っていなかったけれど、
この出会いを信じて、
見えざる手からの贈り物を信じて、
勇気を出して。
ただただ、挨拶をしました。

 

「こんにちは、今日はお話を聞きに来ました」
「Nice To Meet You, Yukiko」

 

この導きを信頼し、
学びを続ける決心がついた出来事です。

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